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一の宮巡りとは|全国102社の始め方と御朱印

更新: 鈴木 彩花
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一の宮巡りとは|全国102社の始め方と御朱印

一の宮巡りは、かつて日本を構成していた旧国ごとに最も格式が高いとされた神社、一の宮を巡って参拝する旅です。平安時代に成立した社格で、国司が任国でまず主要神社に参詣した慣習を背景に、一宮・二宮・三宮という呼び方が生まれました。

一の宮巡りは、かつて日本を構成していた旧国ごとに最も格式が高いとされた神社、一の宮を巡って参拝する旅です。
平安時代に成立した社格で、国司が任国でまず主要神社に参詣した慣習を背景に、一宮・二宮・三宮という呼び方が生まれました。
現代では全国一の宮会に加盟する102社、御朱印の対象では伊勢神宮の内宮・外宮を含む108か所があり、歴史的な一宮と1991年発足の全国一の宮会を分けて見ると整理しやすいでしょう。
始め方に順番の決まりはなく、伊勢を起点にしながらも身近な一宮から自由に始められますし、御朱印帳を片手に社殿の様式や境内の空気の違いを味わいながら、参拝と土地の歴史を同時に楽しむ旅として長く続けていくのがおすすめです。

一の宮巡りとは|旧国の筆頭神社を巡る旅

一の宮巡りとは、旧国(令制国)ごとに最も格式が高いとされた神社、一の宮を国を越えて巡る旅です。
もとは各国の信仰と政治の中心に位置づけられた神社群で、いまでは御朱印を集めながら日本各地を歩ける巡礼として親しまれています。
全国一の宮会加盟は102社、御朱印の対象は108か所に及び、北海道から沖縄まで広がるスケールの大きさも、この旅ならではの魅力です。

一の宮とは『国で最も格式の高い神社』

一の宮は、平安時代の11〜12世紀ごろに成立した社格で、旧国ごとに最も格式が高いと見なされた神社を指します。
朝廷が一律に指定した制度というより、由緒が深く信仰を集める神社が各地で自然に筆頭の位置を占め、やがて「この国ならまずここ」という認識が固まっていったものです。
だからこそ、一の宮は単なる大きな神社ではなく、その土地の信仰の重心を示す存在として受け止められてきました。

起源には国司の参拝が関わり、任国に着いた国司はまず国内の主要神社に参詣してから政務を執るよう定められていました。
その順序が固定化するなかで、一の宮・二の宮・三の宮という呼称が生まれ、国府や総社とも結びつきながら地域の秩序を形づくっていきます。
文献上の初見が12世紀前半成立の『今昔物語集』にある周防国一宮、玉祖大明神の記述であることも、この社格がかなり早い段階から意識されていたことを示しています。

二の宮・三の宮との違いと序列

一の宮の下には、二の宮、三の宮と続く序列があります。
重要なのは、順位が単なる格式の飾りではなく、その国の神々への向き合い方を整理する役割を持っていた点です。
一の宮が信仰の柱なら、二の宮・三の宮はその周囲を支える存在であり、地域の祭祀を階層的に把握する手がかりになっていました。

区分位置づけ役割の見え方巡礼での意味
一の宮その国で最も格式が高い神社信仰の中心まず訪れたい筆頭社
二の宮一の宮に次ぐ社地域信仰の補完一の宮と合わせて土地の厚みが見える
三の宮三番目の社さらに広がる信仰圏国の神社ネットワークを立体的に理解できる

武蔵国の氷川神社と小野神社のように、一国に複数の一宮を称する社が並立する例もあり、序列は一枚岩ではありません。
それでも、なぜ各国に筆頭神社があるのかを考えると、次に見えてくるのは旧国という行政単位と、そこに根づいた信仰の結びつきではないでしょうか。

現代の『一の宮巡り』が指すもの

現代の一の宮巡りは、歴史上の一宮を訪ねるだけでなく、全国一の宮会が連携する社を巡って御朱印を集める実践的な旅でもあります。
対象は全国一の宮会加盟の102社、御朱印の対象は108か所で、伊勢神宮の内宮・外宮に加えて新一の宮6社を含みます。
旧国は約68か国あるため、地図の上では日本列島全体を横断する計画になるのが面白いところです。

実際に巡ってみると、近所の神社を1社ずつ回る感覚とはまったく違います。
地理的に離れた由緒ある古社を、旧国という共通軸でつないでいくので、旅そのものに明確なテーマが生まれるからです。
筆者が初めて一宮を意識して参拝したときも、同じ神社でありながら国の筆頭社らしい境内の広さと格式に背筋が伸びましたし、御朱印帳に一宮の墨書が一つずつ増えるたび、目的地が自然と全国へ広がっていきました。
順番は自由で、身近な一宮から始めても構いません。
自分のペースで進められるので、長く続ける旅としておすすめです。

一の宮の歴史|なぜ序列が生まれたのか

一の宮は、朝廷や国司が制度として上から指定した社格ではなく、由緒が深く信仰を集める神社が地域の中心として力を持つ中で、平安時代の11〜12世紀ごろに自然に序列が定まったものです。
起点にあるのは、国司が任国へ着いたのち、まず国内の主要神社に参詣してから政務に入ったという古代の作法でした。
そこから参拝の順が固定し、一宮・二宮・三宮という呼び名が生まれていったと考えると、この社格が単なる肩書ではなく、土地の政治と信仰の重なりの上に立っていることが見えてきます。

国司の参拝順序が序列になった

一宮の歴史をたどると、出発点はかなり実務的です。
国司は新たに任国へ赴くと、まず国内の主要神社に参詣してから政務を執るべきだとされ、その最初に詣でる社が特別な位置を占めるようになりました。
筆者が古い一宮の由緒書きを読んだとき、単に「格式が高い神社」という理解から、国司が真っ先に詣でた社なのだと知って、参拝の見え方ががらりと変わったのを覚えています。
社殿の荘厳さだけでなく、古代の行政がどこから始まったのかまで感じ取れるからです。

この順序は、やがて一宮・二宮・三宮という呼称へと結びつきました。
つまり、神社側が一斉に整備されたというより、国司の行動が繰り返されるうちに、土地ごとの序列として固定したわけです。
通説では、こうした社格の成立は平安時代の11〜12世紀にさかのぼるとされます。
文献上の手がかりとしては、12世紀前半に成立した『今昔物語集』にある周防国一宮、玉祖大明神の記述が知られ、少なくともその頃には一宮という概念が文字に現れていたことがわかります。

国府・総社と一宮の関係

一宮は、単独で立っていたのではありません。
国司が政務を執った国庁の所在地である国府と地理的にも行政的にも結びつき、周辺には総社も置かれました。
総社は、国内の複数の神社を一か所でまとめて参拝できる仕組みであり、広い国を治める国司にとって、神々への奉告を効率よく行うための装置でもあったのです。
こうした配置を知ると、一宮が単なる「有名神社」ではなく、国府を中心とする古代の統治ネットワークの一部だったことがわかります。

実際に国府跡の近くを歩くと、一宮や総社が思いのほか近い範囲に固まって残る土地があります。
そこで感じるのは、信仰の場が偶然集まったのではなく、政治の中心と祭祀の中心が重なるように地勢が形づくられてきたという事実です。
古代の役人がどの道を通り、どの社にまず頭を下げたのか。
そうした順路の積み重ねが、そのまま地域の記憶になっているのだと実感できます。

朝廷が指定したのではなく自然に定まった

一宮の性格で見落としやすいのは、これが朝廷の命令で一律に設けられた制度ではない点です。
中央が番号を振って全国を整列させたのではなく、国ごとに信仰の厚い社がしだいに中心へ押し上げられ、その結果として序列が見えてきました。
だからこそ、一宮は同じ名称でも土地ごとに成り立ちが違い、地域の歴史をそのまま映す存在になります。
制度名でありながら、実態はかなり有機的です。

この自然発生的な成り立ちを理解すると、現代の一の宮巡りも見え方が変わります。
全国一の宮会が平成3年(1991年)10月8日に発足して古社の連携を図っているのは現代的な整理ですが、歴史の核にあるのはあくまで、国司の参拝、国府との距離感、そして文献に姿を見せ始めた11〜12世紀の空気です。
一の宮を訪ねるときは、社殿の奥にある由緒だけでなく、古代の行政が祈りと結びついていた痕跡まで味わってみてください。

歴史的一宮と新一の宮の違い

一の宮は、平安〜鎌倉期に各国の筆頭社として定着した歴史的一宮と、近代以降に補完的に認定された新一の宮に分けて考えるとです。
この二つを混同すると、社数の数え方や巡拝の対象が食い違って見えるため、まず枠組みを切り分けておく必要があります。
特に令制国の有無がそのまま一宮の有無に直結するわけではなく、そこに新一の宮という考え方が入ってきます。

歴史的一宮

歴史的一宮は、各国の中で自然に筆頭社として位置づけられていった神社で、制度として一斉に作られたものではありません。
平安〜鎌倉期にかけて、国ごとの有力社や朝廷との結びつき、地域の信仰の重みが積み重なり、結果として「この国の一宮」と呼ばれる社が固まっていきました。
だからこそ、単に古いというだけでなく、その土地の歴史そのものを背負う存在だと受け止めると分かりやすいでしょう。

新一の宮

新一の宮は、近代以降に追加認定された一宮で、歴史的一宮がなかった地域を補う役割を持ちます。
蝦夷地(北海道)や琉球(沖縄)など、令制国の枠組みがなかった土地では、歴史的一宮の仕組みだけでは巡拝の対象を置きにくかったためです。
北海道神宮、岩木山神社、駒形神社、伊佐須美神社、秩父神社、波上宮などが該当し、筆者が北海道や沖縄を旅したときも、こうした社があることで「一宮巡り」が地図の外にこぼれずに続いていると感じました。
巡りの懐の深さは、ここに表れています。

ℹ️ Note

近代の認定によって、令制国外の地域も「一宮」の巡拝体系に組み込まれました。歴史を保存するだけでなく、広がりを受け止める仕組みでもあるわけです。

一国に複数の一宮があるケース

一つの国に複数の一宮がある例もあり、武蔵国では氷川神社と小野神社などが一宮を称します。
これは、有力社が時代によって交代したり、論社と呼ばれる候補社が並び立ったりした結果で、どちらか一社だけを正解と断じにくい場合が少なくありません。
筆者が武蔵国で複数の一宮を訪ねたときも、それぞれの境内に地域の信仰の積み重なりがあり、同じ「一宮」という名でも背景がまったく同じではないと実感しました。

巡る側にとっては、まず全国一の宮会の一覧に載る社を基準にすると迷いにくいです。
歴史の論争を追うのも面白いのですが、現代の巡拝では「いま対象とされている社」を順に回るほうが実用的です。
武蔵国のような地域では、複数社を比べて歩くことで、名称の違い以上に土地ごとの信仰の層が見えてきます。
おすすめです。

全国一の宮会とは|現代の巡拝を支える組織

全国一の宮会は、歴史用語としての一宮そのものではなく、平成3年(1991年)10月8日に発足した現代の連合組織です。
古い由緒を持つ一宮の古社が横につながることで、各地に点在していた巡拝の対象が、一つの巡拝テーマとして見通しやすくなりました。
由緒のある社を個別に追うのではなく、まとまった流れで巡れるようになった点に、この組織の意義があります。

1991年発足の現代の連合組織

全国一の宮会は、古社どうしが連携してご神徳を広く発揚するための現代的な枠組みです。
歴史上の「一宮」は各国で第一の社として敬われてきた存在ですが、全国一の宮会はその伝統を受け継ぎながら、巡拝の案内や情報整理を現代のかたちで支える役割を担っています。
ばらばらに見えやすかった一宮を、ひと続きの文化として捉え直した組織だと考えるとわかりやすいでしょう。

このまとまりがあるからこそ、初心者でも「どこをどう巡ればよいか」が見えやすくなります。
単なる名所集めではなく、各社の由緒をたどりながら巡るという目的が立ち、巡拝の意味がぶれにくいのです。
古社の格式と現代の案内機能が重なっている点が、全国一の宮会の特徴だと言えます。

一の宮巡拝会と御朱印の頒布

実務面を支えているのが、関連する一の宮巡拝会です。
ここでは専用御朱印帳の頒布や巡拝情報の提供が行われ、参拝者が何を集め、どの順に回るのかを具体的に把握しやすくなっています。
御朱印帳に各社名と御祭神があらかじめ印字されているため、現地で迷いが少なく、次の社が自然に定まっていくのも利点です。

筆者も公式ガイドブックと専用御朱印帳を手に巡拝計画を立てたとき、点在する一宮が一冊で見渡せる便利さを実感しました。
地図や個別情報を何枚も開かなくても、巡る対象が整理されているだけで、旅の組み立ては驚くほど軽くなります。
組織が整っていることは、参拝の手間を減らすだけでなく、巡拝そのものを続けやすくする力にもなるのです。

公式ガイドブックと一覧資料

全国一の宮会では、公式ガイドブック『旅する一の宮』が刊行されています。
各社の由緒やアクセスを一度に把握できるため、初めて巡る人でも全体像をつかみやすく、土地ごとの距離感も見積もりやすいのが強みです。
個々の社を点で知るのではなく、一覧として眺めることで、巡拝の順序や移動の流れが立体的に見えてきます。

一覧資料と組み合わせると、計画の立てやすさはさらに増します。
筆者が実際に使ったときも、由緒の読み比べと移動計画を同じ机の上で進められたので、無理のない巡拝ルートを組みやすくなりました。
情報がまとまっているからこそ、参拝は思いつきではなく、少しずつ積み上げる楽しみに変わっていきます。

一の宮巡りの始め方|伊勢神宮から一歩目

専用御朱印帳を用意すると、一の宮巡りは一気に始めやすくなります。
大判はB5判の和綴じで、各ページに神社名と御祭神があらかじめ印字されているため、何を集めるのかが最初から見えやすい作りです。
伊勢神宮の外宮・内宮からページが動き出す構成も、巡礼の入口としてわかりやすい流れをつくっています。

まず専用御朱印帳を手に入れる

一の宮巡りの第一歩は、専用御朱印帳を手に入れることです。
大判はB5判の和綴じで、各ページに神社名と御祭神があらかじめ印字されているため、どこへ行って何をいただくのかがひと目で整理できます。
あらかじめ枠が見えていると、集める楽しみだけでなく、順に埋めていく手応えも生まれるのです。

伊勢神宮で外宮と内宮の御朱印をいただいたとき、専用御朱印帳の一冊目が本当に始まったのだと実感できます。
白紙のノートに最初の印が入るのとは違い、神社名の並ぶページが一つずつ生きた記録になっていく感覚があるからです。
見返すたびに、どこから歩き出したかがはっきり残るでしょう。

伊勢神宮を起点にする理由

専用御朱印帳の1ページ目が伊勢神宮(外宮・内宮)のスペースになっているのは、伊勢から始める設計だからです。
日本の神社の総本宮ともいえる伊勢を起点に置くことで、巡りの入口に自然な重みが生まれます。
形式だけでなく、最初の一社にどこを置くかで全体の気持ちが整うのが、この巡り方の面白さです。

伊勢神宮は、単に有名だから最初に行く場所なのではありません。
外宮と内宮をそろえていただくことで、専用御朱印帳の最初の章がきちんと開いたような感覚になります。
順番に意味を持たせたい人には、ここから始める流れがしっくりくるはずです。

身近な地域・旅行先から無理なく回る

ただし、一の宮を巡る順番に厳密な決まりはありません。
自宅の近くや旅行先の一宮から自由に始めてよく、一度に全部を回る必要もないのです。
まずは身近な1社に参拝して御朱印をいただく、それだけでも巡りは十分に前へ進みます。

続けやすくするなら、住んでいる地方の一宮と、よく旅行する方面の一宮を1〜2社ピックアップして予定に入れるといいでしょう。
たとえば旅行のついでに方面の一宮を1社足す形なら、移動の負担を増やさずに数を増やせます。
無理のない範囲で積み上げるからこそ、参拝が習慣になりやすいのです。
今の生活動線に沿って組み立ててみてください。

御朱印帳・かかる年数・満願まで

御朱印帳は、巡拝の始まりに手元へ迎えるものです。
基本は参拝先の神社の授与所で受けられますが、取り扱っていない一宮もあるため、最初の一社でつまずかないための下調べが役立ちます。
巡拝は期限を競うものではなく、満願までの道のりそのものを積み重ねていく楽しみがあるでしょう。

御朱印帳はどこで買えるか

御朱印帳は、まず参拝する神社の授与所で求めるのが自然です。
神社の空気の中で受けた一冊は、その後の巡拝の起点になりやすく、手にした瞬間から「次はどこへ行こうか」と気持ちが切り替わります。
もっとも、御朱印帳を取り扱っていない一宮もあるため、何も確認せずに訪ねると、欲しかった一冊をその場で得られないことがあります。
実際、筆者も事前に問い合わせずに出向き、入手できずに戻った失敗がありました。
下調べのひと手間は、その場の空振りを防ぐだけでなく、巡拝の流れを途切れさせないための実用的な準備です。

巡拝にかかる年数の目安

巡拝にかかる年数は人それぞれで、決められた期限はありません。
13年かけて全108か所を巡り終えた巡拝者がいるように、速さよりも継続の方がこの営みには向いています。
短期間で一気に回る旅もあれば、季節や仕事の都合に合わせて少しずつ進める旅もある。
どちらが正しいという話ではなく、長く続けられる形を選べること自体が、この巡拝の魅力です。
御朱印帳のページが一枚ずつ埋まっていくと、達成感が次の旅への意欲に変わります。
急がず、生涯の趣味として育てていくテーマだと考えると、道のりはぐっと穏やかになります。

満願(完拝)と記念品

全社を巡り終えると、満願(完拝)という節目を迎えます。
ここには到達の喜びだけでなく、きちんと積み重ねてきた時間を形に残せる楽しみもあります。
完拝者には『巡拝成就』の記念お守りカードと完拝者名入りの完拝証状が、一人一組3,000円で特別に頒布されます。
東京本部事務局で完拝を証明できた希望者のみという条件つきですが、その条件があるからこそ、完走の実感がいっそう鮮やかになるとも言えます。
全体を見上げると気後れしやすい道のりでも、まずは目の前の1社に集中すればよいのです。
御朱印が一つ増えるたびに手応えが残り、やがて全国の歴史と文化に詳しくなっていく。
その実感こそが続ける力になります。

代表的な一の宮と歴史上の巡拝者

全国の一の宮には、まず身近に訪ねやすい社と、神話の世界を強く感じさせる社があります。
武蔵国の氷川神社、相模国の寒川神社、信濃国の諏訪大社は関東・甲信で代表的な存在であり、御祭神を知ってから参拝すると、境内の見え方まで変わってきます。
さらに西日本の出雲大社へ視野を広げると、一の宮巡りが日本神話をたどる旅でもあることがはっきりしてくるでしょう。

関東・甲信の代表的な一宮

関東・甲信でまず挙げたいのは、武蔵国の氷川神社、相模国の寒川神社、信濃国の諏訪大社です。
氷川神社は須佐之男命ほかを祀り、寒川神社は地域の総鎮守として親しまれ、諏訪大社は建御名方神を主祭神とすることで知られます。
いずれも大都市圏や主要な交通圏から訪ねやすく、一の宮を「特別な遠い場所」ではなく、自分の生活圏から始められる巡りとして感じさせてくれます。

この三社を並べてみると、同じ一の宮でも雰囲気が少しずつ異なることがわかります。
氷川神社は武蔵の古い信仰の厚みを、寒川神社は相模の土地に根ざした静かな力を、諏訪大社は信濃の山岳信仰と結びついた気配をそれぞれ伝えます。
筆者も実際にこれらの社を歩くと、同じ「一の宮」という呼び名の中に、土地の歴史と神話の層が重なっていることを肌で感じました。

社名国名御祭神参拝の印象
氷川神社武蔵国須佐之男命ほか都市圏から訪ねやすく、古社の気配が残る
寒川神社相模国非公表地域の守り神として落ち着いた雰囲気がある
諏訪大社信濃国建御名方神山の信仰と結びつく強い存在感がある

出雲・西日本の代表的な一宮

西日本の代表格として外せないのが、出雲国の出雲大社です。
大国主大神を祀るこの社は縁結びで広く知られていますが、その魅力はそれだけではありません。
各社の御祭神は日本神話の主要な神々と重なっており、一の宮巡りは神社を訪ねる行為であると同時に、神話の人物関係をたどる学びにもなるのです。

出雲大社を訪れると、社殿の大きさや境内の空気感だけでなく、神話が現在の景色にそのまま接続しているような感覚があります。
諏訪大社で建御名方神の名を思い浮かべたあとに出雲大社へ向かうと、土地は離れていても神々の物語は一本の線でつながっているとわかるはずです。
名だたる一の宮を順に訪ねていくと、参拝のたびに神話の地図が少しずつ埋まっていく。
そんな手応えがあるではないでしょうか。

江戸時代の巡拝者・橘三喜

一の宮巡りを歴史の旅として定着させた人物として、江戸時代前期の神道家・橘三喜(1635〜1703)は欠かせません。
橘三喜は延宝3年(1675年)から元禄10年(1697年)まで、足掛け23年をかけて全国の一の宮を巡拝した先駆者であり、その歩みは今日の巡礼者にも重なります。
各地の社を自分の足でたどり、記録を積み重ねる姿勢そのものが、後世の巡拝文化の土台になったのです。

橘三喜はその記録を『一宮巡詣記』全13巻として残しました。
単なる旅日記ではなく、どの社をどう巡ったかを後の人が追える形にした点が画期的で、これをきっかけに多くの人が一の宮巡拝を行うようになったと伝わります。
現代に出雲大社や諏訪大社を訪ねるとき、そこには数百年を越えて同じ社に詣でた人々の時間が重なっています。
橘三喜の足跡を意識して参拝してみてください。
旅は、より深いものになるでしょう。

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鈴木 彩花

旅行ライター兼御朱印コレクター。全国500社以上の神社を参拝し、参拝の実用情報をお届けします。

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